太齋陽菜さんはパピマシェのメンバーでした。
「でした」というのは、つまり…。
2021年4月4日に卒業してしまったのです。
私がパピマシェと出会ったのは「この日」。
ミルクセーキの対バンだったのですね。
当日、会場のベルエポで出演グループを後方からずっと見ていていました。やがてパピマシェの出番になり「へえー楽曲いいなあ…」と思った私はステージに近づいて聴くことにしました。ステージ近くでいくつか曲を聴くうち、真ん中最前で歌い踊る、スラリと凛々しいメンバーに目が行くようになり。それが太齋陽菜さんでした。
というわけで東京に戻ってからメンバーの情報やブログをチェック!SHOWROOMをやってることを知り早速フォローして見始めたのですが!
前に吉岡真緒さんのことについて「外見と異なる魅惑の低音ヴォイスにびっくり」と言いましたが、この太齋陽菜さんも、見た目の雰囲気と Showroom でのトークや声がまったく違うイメージだったので、それはそれは驚きましたわ。ライブのときやアー写や自撮りのときとSRとでは全然イメージが違うのです。それを知ってから太齋陽菜さんのSRから目が離せなくなってしまいました。
スクショをまとめてあります。笑。
この雰囲気で、みなさんはどんな喋りを想像できますか?
私の好きなパーカー女子。
パーカーを着てたときには必ずコメで「パーカー女子!」と話しかけていました。笑。
この「天神にいそうな女の子」メイクはすごい楽しかったです。
確かに!
ミルクセーキとパピマシェさんは北九や福岡でよくイベが一緒だったので、その時にはまた自分も遠征して太齋陽菜さんを見られたらいいな、なんなら接触やチェキに参加してもいいな、とずっと思っていました。そしてそれは簡単にいつでも叶うことだと信じていました。
そう。コロナの前までは。
イベントが自粛になりミルクセーキの遠征もなくなり、ましてや県を跨ぐ私の遠征などとんでもない!という状況になりました。
そうしたなか突然発表されたのが太齋陽菜さんの卒業だったのです。
私は直前まで卒業ライブに行ける方法はないものか…と方法を探り続けたのですが、どう考えても無理でした。
そうして最後に残った手段。
私がとった方法とは。
「デジショを注文する」でした。
遠征できない以上、太齋陽菜さんの思い出グッズを手元に残すにはそれしか方法がなかったのです。
そうして贈られてきたデジショに私は感涙しました。
私がミルクセーキのPであると知ってくれてて、そして楽曲のことを褒めてくれていたからです。これこそ「冥利に尽きる」です。Pとして音楽に関わってきた人生の中で最高に幸せだ!と思いました。笑。
もちろん写真立てに入れて部屋に飾ってあります。
私は普段は「Pとして参加したイベントでは公私混同はしない」というポリシーというか自制があって、なのでどんなメンバーやグループでも「楽曲や歌以外に」特段何かを思うということはない(本当に)のですが、この時はそれが出来なかったんだよな。それくらい彼女は存在感あったということです。
私の(今のところ)最後の九州遠征の思い出として。
福岡の楽しい思い出として。
最高の贈り物をありがとう。感謝しています!
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