首都圏で陸の孤島だった相鉄線が遂に!JR乗り入れで新宿まで繋がりました。
悲願だったよねえ。
というわけで、それを記念して相鉄線「緑園都市」を散歩しましたよ。
…な〜んて嘘です。本当は2002年の写真。
個人的にこの駅は思い入れがあります。私の曲「思い出のきれはし」の歌詞をココで書いたからです。その時の記事がコチラ。熱いねー。
というわけで、その曲が収録されたアルバム「FUSEKI」10周年イヤーを記念して「2002年の緑園都市」を振り返ってみましょう。
個人的に「緑園都市」という名前が好きです。
田園都市とは違うよね。こっちがいいよね。
ホームから駅前を見下ろした様子。
透明のアクリルぽいものにホームが囲われています。
山に囲まれた地域なので駅を出るとすぐにトンネルですね。
ちょうど電車がやってきたので撮っておきます。
17年前の電車。たぶん今とは違うんでしょうね?
めったに行かないのでよく知らないですw
駅前からすぐマンション群。
ニュータウン!って感じする。ワクワクする。
両脇とも整然と並んでいます。
再度明記しておきますが「17年前の」緑園都市です。
マンション群の入り口に小さな公園がありました。
売店で買った板チョコをかじりながら座って休憩。
そして「思い出のきれはし」の歌詞を書き始めました。
だいたい概略を書き終えて、ちょっと近所を散策。
街路樹の小道。この先どこへ続くんだろう…と思いつつも、実は仕事中(外回り)だったので駅に戻ります。歌詞を書いてたのは、一応「昼休み」ということにしておきましょうw
駅に戻ります。
駅舎の上に小さな三角屋根があります。
実はホームの横にミニ庭園があって出られるようになっていたのです。
入口。
あとで調べたら駅の最寄りに女子大があるらしかったです。
そして電車に乗り、次の勤務地に向かいます。
歌詞の残りはその電車内で書き、仕上げしました。
確かボックス席でしたね。
今でもこの歌を歌うと「当時の」緑園都市の風景を思い出します。
スランプ底付きからの脱出。そのきっかけは緑園都市で書いた歌詞だったと思うと、17年の年月、そしてJRで都心まで繋がったことも併せて、ダイナミックな人生の流れを感じます。
次は2年後、新横浜から東急線乗り入れだねえ。
その時は新横浜に行ってみよう。楽しみに待ちたい。
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